- 物価の上昇と賃金(2024年11月)
- 「貯蓄から投資へ」の問題(2023年1月)
- エネルギー政策と研究開発について(2016年1月)
- 政府・日銀の金融政策(2014年12月)
- 地球温暖化についての意見対立
- 低炭素社会に向けての産業界の役割
- 低炭素社会のための技術
物価の上昇と賃金(2024年11月)
「経済成長のために、年2%程度(以上)の物価上昇を目的とする」との方針が数年前から政府および日銀から打ち出され、最近は「賃上げのためにも物価上昇が望ましい」との発言が、なんと連合会長からもなされた。これは、全くおかしな論理である。
同一のもの(サービスを含む製品)であれば、生産技術やプロセスの改善が進み、時間とともにコストが下がるのが自然である。物価上昇(インフレ)は、途上国などにみられる急激な人口増加や所得向上、生産過程の損傷(戦争や紛争、災害)などによる「もの不足」や国の経済破綻による通貨安などでも起こりうるが、これは一時的あるいは不幸な例であり期待すべきではない。経済の拡大は、「新しいものの創出」や生産性の向上によってもたらされると考えるべきである。
民主的な資本主義社会(適正な労働分配率)であれば、賃金も、新しいものの創出、その人の能力や仕事のやり方の向上あるいはより適した職種への移動などにより(生産性の向上)上昇するのが自然である。
「貯蓄から投資へ」の問題(2023年1月)
「貯金から投資へ」という政策が打ち出されている。平均的な生活をしてきた人々の老後の生活費が数千万円程度不足するというデータもその必要性の根拠のひとつとされている。昨年からは、「資産収益の倍増」というスローガンまで出てきた。
これは大きな問題と言わざるを得ない。それは、以下の理由による。
第1に、老後の生活費の不足は、福祉政策や人口問題を含む社会政策、労働政策さらには空白の30年と称される経済政策の不備・失敗が問題なのであり、これを個人の努力の問題にすり替えるべきではない。
第2に、投資は本質的にリスクが伴うものであり、たとえ損失するのが少数派であっても、その人たちの生活が著しく損なわれた場合の悲惨さは重大である。
第3に、投資をするためにはそれなりの努力と時間が必要であり、現役世代に強いるのは本来担うべき生産活動を阻害することになる。また、それ以前に、現役の人々には、投資すべき資産がほとんどないのが普通であり、資産収益を倍増してそれなりの利益を得られるのは富裕層に限られる。
即ち、投資は、金融機関の専門家や生活に影響しない余剰資産と時間を有する富裕層、高齢者が行うべきものであって、一般の現役世代の人々には本来業務に邁進してもらうべきである。政策として望ましいのは、貯金を受け容れた銀行などの金融機関が投資を引き受け、一般の人々は元本が保証されかつ物価上昇を上回る利子が得られる貯金をすればよいようにすることである。中・高などの教育課程に投資の勉強を加えることも不要で、するとしてもそれは希望者に限定すべきである。
エネルギー政策と研究開発について(2016年1月)
エネルギー政策やそれに関する技術の研究開発の重要性は、我が国の国民生活、経済活動、エネルギー安全保障、資源量、環境への負荷(主に温室効果ガスの排出量)などをもとに議論されることが多い。しかしながら、たとえば、我が国のエネルギー消費量あるいは温室効果ガスの発生量などは、世界全体の4%弱に過ぎず、技術や産業としての市場あるいは環境対策努力の対象としてはそれほど大きくない。したがって、エネルギーや環境対策などに関する政策や研究開発は、我が国だけではなく、世界全体の動向、将来のあるべき姿を想定して立案し、進めるべきである。原子力エネルギーの必要性や開発の是非も、我が国の状況だけではなく世界的視点で議論されるべきである。
昨年パリで開催されたCOP21で議論された国ごとの温室効果ガスの排出量および削減への貢献は、当該国の排出量の増減および開発途上国への技術移転や事業展開(CDMと呼ばれる)で評価されるがそれだけでは不十分である。世界で使われる技術の研究開発、さらには開発途上国で有効な技術の国際共同研究開発などは世界的に大きく貢献するものであり、それを国際的にきちんと評価することが研究者のモチベーションを高め、国の投資を促し、世界に貢献する研究開発を促進することになる。そのための具体的な方策の一つとして、貢献した研究開発の成果をCDMの一部(技術のロイヤリティのようなもの)として数パーセント程度認められるような国際的枠組みの構築を提案したい。
政府・日銀の金融政策(2014年12月)
日本が、ここ20年近く悩まされてきた、低経済成長、デフレ、円高、財政赤字とそれによる社会の逼塞感を打破するためとして政府・日銀による大幅な金融政策が進められている。この政策は大幅な円安を招き、輸出産業を中心とした企業の収益改善、株価の上昇、その恩恵を受ける富裕層による高価格商品の売り上げの上昇などをもたらしている。日銀の国債の購入などによる金融の緩和は私が2年近く前に提示した意見と近いが、最近は、国民が広く長く恩恵を受けるためという観点からはかけ離れたものになりつつあるのであらためて問題提起したい。
- (1)目標とすべきは物価上昇(インフレ)率ではなくGDP上昇率
言うまでもなく、通貨の下落と輸入物価の上昇によるインフレは、給与、年金などの所得や国内の所有財産の価値低下であり、多くの国民に不利益をもたらす。また、このところの大幅な財政出動は国の累積赤字(子孫の負債)を大幅に増加させているのみで景気回復の効果が出ていない。多くの国民が金融緩和政策を許容しているように見えるのはそれが経済成長のための一時的な便法と認識しているからであり、冷静な人々から不満が出て来るのは当然である。日銀は目標インフレ率を設定しているが、インフレ誘導は景気回復のひとつの手段(良い手段とは云えないが)であり、目的ではない。国際通貨ベースで見た国民の財産と所得は円安で大幅に低下しており、GDPは中国に比べて大差を付けられつつある。政府・日銀は、本来の目標である、国民の生活改善、実質(国際通貨ベースで見た)GDPの目標成長率を示し、対策を講じるべきである。 - (2)物価上昇率の目標上限の設定
デフレや通貨高で財政破綻した国はなく、財政破綻した国は必ずインフレや通貨安を伴っている。国の財政破綻とインフレ・通貨安はどちらが原因でどちらが結果かという議論はあろうが、両者が連動し、坂を転がり落ちるように進行することが多い。多くの(消費者である)国民の利益を守るということからも過度のインフレは決して引き起こしてはならない。政府・日銀、さらには国会は物価上昇率の上限を設定すべきである。 - (3)日銀の購入は国債に限定
日銀は不動産投資信託や株式投資信託などの市場での購入を拡大しているが、これは、それらの価格を吊り上げ、それらを所有している特定の個人や機関の利益を図ることになる。日銀は政府と同じように国民のものであり、国民全体に平等に奉仕すべき機関であることを忘れてはならない。また購入した投資信託の売却は政府や同じ債権の所有者の反対を受けやすく、公平性のある売却時期の設定は不可能に近い。日銀は、原則的に国債の購入、それも本来であれば政府からの直接購入(これは禁じ手とされているが実害はより少ないと言えよう)に限定すべきである。年金基金を株などに振り向けることも進められているが、損失を出したとき誰がどのように責任を負うか、補償できるのかなどを年金納入者、受給者にきちんと説明すべきである。 - (4)政策の改革
国内での投資を活性化するために法人税の引き下げを進めている(企業は既に東日本の災害復興対策に関する税を免除されている)が、これはそれほどの効果が期待できないと思われる。税金の安い国に形だけ本社などを移転している企業もあるがこれは違法とも言える行為であり、今後は国際的に取り締まりが強化されるであろう。企業は、商業はもとより、生産業も関税の不利を避けるために、消費地に近いところに活動拠点を拡大させるというのが大きな流れである。米国は日本より法人税が高いが経済の活性を維持していることを見ても分かる。従って、日本での景気の回復のためには、国民の購買力を高めたり、TPPのような自由貿易を拡大し輸出先の国の関税を引き下げたりすることに最大限努力すべきである。
地球温暖化についての意見対立
「二酸化炭素などの温室効果ガスの排出によって地球の温暖化、気候変動が危機的状況になりつつある」との報道が連日のようになされる一方、「気候変動はそれほど進んでいない、あったとしてもそれは自然現象の一環で人間の活動が原因ではない」とする反論も少なくない。昨年12月のCOP15前後には、一部の環境研究者が「温暖化の傾向」に反するようなデータを故意に削除して温暖化を正当化しアジテートしているという「クライメイトゲート事件」なるものが話題になったほどである。
原子力の安全性、工場の廃棄物による公害、工事などによる生態系の損傷などについてもいわゆる開発推進派と環境保護・開発阻止派とに意見が2極化してしまい、冷静な議論ができなった例がある。この地球温暖化問題もその恐れがある。
これらの反省として言えることは、情報を正確に発信することの重要性である。「話が分かりにくくなる」、「反論の余地を与える」との理由で、一見、自分の主張に反するようなデータや、意見の根拠をなす重要な仮定を省いて見解を情報発信することは厳に慎むべきである。意識的にしろ、無意識的にしろ、「警鐘を鳴らす必要がある」という大義名分で売名行為、利益誘導と思われるような言動をとることは許されない。とくに専門家以外、マスコミなどに発表するときには細心の注意が必要である。「歴史は繰り返す」ことにならないよう、「現在分かっていないこと」を含め、正確な情報の上に立って、現象や問題点、対策について皆が冷静に議論、判断できる文化にしたいものである。
低炭素社会に向けての産業界の役割
環境・エネルギーに関する最大の問題は、言うまでもなく化石資源の大量使用と、その結果としての二酸化炭素排出量の増大、気候変動である。
国内では、「二酸化炭素排出量が増えているのは運輸や民生、とくに家庭でのエネルギー消費の増大によるものである」、さらには「日本企業のエネルギー生産性は優等生であり、産業部門でこれ以上の改善努力することは乾いた雑巾を絞るようなものである」との論調が経済界を中心に増えている。これはある程度正しく、二酸化炭素排出量の大幅な削減には消費者の協力が不可欠である。また、日本のエネルギー生産性が高いのは、比較的良好な技術が普及し、「とくに劣った設備、工場がない」ことによる。したがって、世界の二酸化炭素排出量の削減には、新しい技術の開発より優れた技術の「普及」が手っ取り早いのは事実である。といって、日本の産業界が努力しなくても良い訳ではない。
今後の世界の産業競争力の優位性が、環境・エネルギーへの対応力にかかっていること、日本の二酸化炭素の排出量に占める産業部門の割合が40%にも達していることは確かなので、日本の産業界がここで止まってはならない。
ここで私は、日本の技術の海外普及と共に、国内で行うべきこととして次の2点を提案したい。
ひとつ目は、とくにエネルギー消費、二酸化炭素排出量の多い鉄鋼や化学産業の生産プロセスの抜本的改善である。鉄鋼では、原子力などによって水素を作り、水素還元を行えばよいという超長期的案を唱える向きもあるが、これは具体的な行動を起こさない責任回避でしかない。今必要なのは、今後2,30年で実現できる、実現のロードマップを描ける改善である。この技術開発は、膨大な資金と人材を要すると思われるが、産・学・官の総力を挙げて推進すべきである。
ふたつ目は、原材料から廃棄段階までを通しての省エネ・省資源に優れた製品の開発・提供・利用である。既に、自動車や家電などの一部はエコカー減税やエコ・ポイントなどの制度によって開発・普及が推進されているが、他の製品、特に企業間で流通する部材、部品などは意識さえされていないものが多い。これら、社会全体を通して省エネ・省資源に寄与する製品の開発・普及を推進すると共に、それらの製品やそれを提供する企業をきちんと評価すること、部材、部品を標準化すること、世界に普及することが重要である。ひとつ目をプロセス・イノベーションとすれば、ふたつ目は、プロダクト・イノベーションと言える。日本に多い、垂直統合された企業群ではやりやすい面があるかもしれない。
これらは、社会への貢献というだけではなく、日本企業の今後の競争力強化の源泉になると考える。
低炭素社会のための技術
太陽光発電、風力発電などのいわゆる再生可能エネルギーや、燃料電池自動車などの「高効率」エネルギー利用システム、廃棄物のリサイクルなどが注目され、普及が進められているが、それらが化石エネルギー資源の節減や温室効果ガス排出量の削減に真に効果があるかきちんと評価する必要がある。
評価方法として現在広く用いられているのはLCA(Life Cycle Assessment)である。これは産業連関表や部門ごとの化石資源使用量や温室効果ガス排出量などを使い、製品の製造から廃棄まで評価することを目的としたものではあるが、末端までは追跡しないため、一般的に過小評価する傾向がある。そこで、私はコスト分析を利用することを提案したい。即ち、価格から税金や補助金、利益、賃金等をのぞいたコストは資源やエネルギーの使用によるものと考え、その詳細をつめていくという方法である。人や物の移動、保管、事務、販売などにもエネルギーや資源が使われている。LCAが足し算をしていくのに対しこの方法は引き算で、過大評価する傾向がある。真の値は、LCAによる評価結果との間にあり、その差が小さくなるまで両者を詳細化していくのが良いであろう。
最近、再生可能エネルギー・システムの設置に対する補助金やそれらによる発電の高価格での買い取り制度、省エネ型の家電製品や自動車などに対する減税やエコ・ポイントなどの優遇処置が打ち出され、購入、普及が奨励、推進されている。これらの支援の目的が景気対策ならば国・一般国民の費用対効果で評価されるべきであり、環境対策ならば一考を要する。先に述べたように、価格が高く、経済的支援なしには競争力がないものは、エネルギーや資源を大量に使用している疑いがあるからである。また、企業や研究者は、「この程度の技術、製品でよし」とするのではなく、支援を受けることは恥であると考えなければならない。政府の支援は、技術、産業の育成段階、開発段階の特例とする程度にとどめるべきである。
さらに言えば、太陽光発電や風力発電の事業は、土地が狭く条件に恵まれない国内ではなく海外を市場と考える方がよい。地球規模の気候変動対策としてもその方が効果が大きい。